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国木田独歩の紹介

登録日:2004年3月19日

「のんびらんどうましま」の管理棟に明治の文豪「国木田独歩」を紹介したコーナーがあります。

国木田独歩と田布施

 国木田独歩という名前は知っていても、実際に本を読んだことがあるという人は少ないかもしれません。国木田独歩は明治を代表する近代文学者の一人で、山口県とのゆかりが深く、37年の短い生涯の大半を県内に在住し、各地に多くの足跡を残しています。そんな中で「帰去来」「富岡先生」「少年の悲哀」「酒中日記」など、彼の代表作品を含む17編は、いずれも田布施が舞台となっています。独歩にとって、田布施は特別な地であったのです。


独歩の生涯

1.誕生~田布施時代

 

 

 

 国木田独歩は明治4年(現、千葉県)銚子に生まれました。幼名を亀吉といい、後明治22年に哲夫と改めました。筆名は鐵斧、独歩吟、哲夫子などありますが、晩年は独歩を用いています。父親の専八は司法官で、明治9年に山口裁判所に勤務することになり一家は山口町(現、山口市)に移り住みました。父親の転勤に伴い、萩、広島、玖珂郡横山村、錦見村、再び山口町へと一家も移住を重ねました。少年時代の独歩は、当時の同級生や弟らの談話によると、成績が優秀で読書好きである反面、やんちゃでいたずらが好きな面もあった様です。明治20年3月、山口中学校を退学。前年に退学し上京していた友人今井忠治の勧めもあり、父の反対を押し切って上京しました。そして翌年5月東京専門学校(現、早稲田大学)英学科に入学します。在学中には、吉田松陰や明治維新の資料を読んだり、学生運動に加わるなど活動し、また教会で洗礼も受けています。しかし、明治24年、友人とともに専門学校を退学し、当時一家が身を寄せていた麻郷村(現、田布施町 麻郷地区)の吉見トキ方に帰省することになりました。ここから独歩と田布施の関係がはじまるのです。

2.田布施時代

 

 

 

 独歩は、明治24年5月から8月までを麻郷村の吉見トキ方で過ごしました。吉見家は、津和野城主 吉見正頼(大内家家臣。後、毛利氏に帰属)の頃から縁故関係にあった由緒ある旧家で、当時は母と3人の娘だけの女世帯でした。

 この時期の独歩の生活は『明治廿四年日記』に詳しく書かれており、関係者の証言などからもうかがい知ることができます。独歩は魚釣りや野山の散策が好きでした。散策時にはいつも懐に書物を入れ、野原に寝そべって読むのが日課でした。ときには吉見家の娘たちを一緒に野山につれていくなど可愛がり、娘たちからは「哲兄さん」と慕われていました。また、月琴(げっきん)が上手で、後移り住んだ麻里府村(現、田布施町 麻里府) では、月夜の晩には目の前に広がる海を前に、部屋の柱にもたれかかって静かに奏でたそうです。地域では、麻郷小学校に英語を教えにいっていたことが判明しています。その他、吉田松陰の松下村塾で教鞭をふるった富永有隣(1821~1900)を訪ねて刺激され、廃校になっていた田布施村立金声尋常小学校(現、田布施町立東田布施小学校)長合分校の校舎を借りて、松下村塾に習い波野英学塾を開設、弟ほか塾生7~8人に英語・数学・作文などを熱心に教えました。
 明治24年8月、独歩は麻里府村の浅海謙助の別宅に仮住まいします。そこで、石崎家の娘タメの家庭教師となったことが縁で、 タメの姉トミと恋が芽生えます。トミは石崎家の7人娘中一番美しく、聡明であったと今に伝えられています。独歩21歳のときでした。

 

独歩が愛用していた月琴

 

3.その後

 

 

 

 独歩は明治25年2月柳井津町(現、山口県柳井市)神田静治の借家に移り、その後市山増太郎方に転居します。 同年5月、トミに求婚しますが、トミの父親の反対など諸事情により、結局、その思いはかないませんでした。独歩は失意のうちに弟とともに再び上京の途につきます。後年、トミの三女中村倭文は「…独歩との訣別の件について、求婚を断ったのは、伊藤家との縁談が持ち上がったことにより、むしろ独歩が狂信的とも思えるクリスチャンで果してそれについていけるかどうかに不安があったことが一番の理由だと申しておりました。思いますに、母は独歩との性格的な相違を女性的な本能で見破っていたのかも知れません。…」と述懷しています。その後も独歩は各地を転々としますが、その後も折にふれて機会あるごとにこの地を訪れています。美しい山野と瀬戸内海、親交を結んだ多くの人々…定まった故郷を持たない独歩にとって、田布施はこれにかわる限り無く懐かしい地となったのです。

(参考文献/田布施郷土館叢書第二集『田布施時代の国木田独歩』林芙美夫著)


国木田独歩の田布施関連作品
(主なもの)

国木田独歩の作品の内、田布施が舞台となったものの代表作です。興味のある方は一度読んでみては?

1.酒中日記(しゅちゅうにっき)

 

 

 

 小学校舎の新築資金を巡る主人公・大河今蔵のトラブルから、妻子が井戸に身をなげ、今蔵は流浪の末、瀬戸内の小さな島・馬島で私塾の教員となる。失意のなかで酒色に溺れ、32歳の若さで船から転落して水死するという悲劇を描く。後に完全な創作話しであると独歩自身が述べているが、 大河今蔵は実在の人物小川今蔵の名を借りたものである。

2.帰去来(ききょらい)

 

 

 

 主人公・吉岡峰雄が東京から小川綾子に求婚するため故郷・麻郷村に帰省するが、綾子とのことで心に痛手を受け、ついに故郷を離れてゆく。帰省の道々、柳井・平生・麻郷・麻里府・曽根にかけての自然と人情を豊かに描いた作品。小川綾子は石崎トミがモデルになっている。

3.富岡先生

 

 

 

 富永有隣をモデルにした小説であると、本人が断言している。「変わり者、頑固、片意地、尊大」と、富岡先生の性格気質が表現されている。当時の維新の志士たちの性格や行動を織りまぜた作品ともいわれ、在りし日の有隣の姿も目に浮かぶ。早くに映画化もされた。

4.悪魔

 

 

 

 高塔を中心に麻郷村を舞台にした小説。神と悪魔、生存の不可思議といった宗教的葛藤に満ち、クリスチャンである独歩自身のキリスト教的思索により生まれた作品といわれている。

5.独歩吟(どっぽぎん)

 

 

 

 「山林に自由存す」や「行雲流水」など、自然詩人としての独歩の魂が見える。なお、「山林に自由存す」は麻里府公民館にある「国木田独歩の詩碑」にその詩が刻まれている。

 

お問い合わせ

経済課
電話番号:0820-52-5805
ファクス番号:0820-53-0140

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